ANT-iのはなし

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 これは全く関係(なくも)ない釘バット

 

 つい先日,(内輪で)『ANT-i』(エイントアイ)という曲を発表しました。歌詞の話をするのが流行っているらしいので歌詞の話を書きます。そのうちインターネットの海にも放流されるのでよろしくね!

 

気付けば色を失くしたこの心が
疑問ばかり叫んでいる
いつしか嘘に塗れたこの心は
弱さを見せ合うことさえ忘れてしまった

 

 いきなり陰鬱ですみません。『色を失くした』というのは,希望なんかを失ったことの比喩です。自分が書く最近の歌詞は「大人になりたくない」ということが大体どこにも通奏されていて,ここも多分に漏れずそういう意味が込められています(それにこの先メインになってくる意味を掛け合わせている)。大人になるということがどういうことか,というのはかなり多くの答えを孕む問題ではありますが,自分としては「幼き日の憧れを失くす」ことと「嘘(取り繕い)が上手くなる」ことだと思っています。これは必ずしも悪いことではなくて,例えば後者であれば世渡りが上手くなる(生きるのが上手くなる)みたいな良いこともあるんじゃないですかね。前者と合わせると「大人になる」ということは「地に足をつけて生きていくことができるようになる」ということに言い換えられるかもしれません。まぁ自分は陰の者なのでこれには苦々しい思いを抱えており,だからこんな陰鬱な歌詞になるわけなのですが。どうして大人になんてなってしまったんだ,という心があって疑問を叫ぶ一方でその心は嘘に塗れてしまって,弱さ(=本音)を見せることができなくなってしまった,ということ。掛け合わせている意味は後ろから何となく推測してみてください。

 

やがてヒトは慈しみを笑顔で撃ち合う

 

 慈しみとか優しさみたいな,他人を思いやっている(と思っているもの)が人を傷つけてしまう,なんてことは往々にしてあるわけで,ともすればそれが致命傷になったりすることもあるわけです。自分は「言葉」を「言霊」→「言弾」として変換して銃を媒体に「言葉を発する(そして人を傷つける)」という表現をやりがちです(ダンガンロンパの影響?)。

 

いつか夢に見ていたような そんな世界に
きっと僕の居場所は無いのだろう
この左胸突き刺した痛みが
安らぎでさえ奪い取ってゆく

 

 もう一つの最近のテーマとして「世界マジでクソ,滅べよ」というのがあります。あんまり世界情勢とかに触れるつもりはないんですが,ここ最近特に世界が狂っているな~という印象を受けることが多くなっています。ずっと昔はそれなりに未来への期待があったような気がしているんですが,そういう世界はすっかり消えてしまったな~と思っています。『夢に見ていたような そんな世界』というのはかつて期待していたような世界のことで,その世界がそもそも現実にないのだから,現実にいる自分の居場所はその世界にはないということ。遠回しに「現実にいるしかない,現実で生きていくしかないじゃんね」ということを言っています。しかし,現実は得てして辛いものなので,左胸を突き刺す痛みはずっと消えず(消えてしまえば楽になれる=非現実である理想の世界に行ける),それが安らぎを奪って現実を突きつけるという構造です。

 

優しさを履き違えたこの言葉が
打ち抜くのは誰かの夢
抱きかかえた命さえ捨ててしまう
僕らがたどり着くのは理想に燃える景色

 

 前半が言っていることはちょっと前で言ったのとほとんど同じこと。自分の中で『命』は割と比喩的に使われることが多く,雑に「大事なもの」くらいの認識です。『抱きかかえた命』というのは能動的に得た大事なもののことを示していて,自分で欲しがったものをやすやすと手放してしまう,みたいなことがこの世には多すぎる,というイメージです。なんでそんな風に手放してしまうのかといえば,次から次へと欲しいものが出てきて,それでいて使えたり手元に残したりできるのはごく一部なわけで,結局何かを捨てていくしかない,という状況があると思います。あれもこれもと手を出しては捨て,そんな『僕ら』がたどり着くのは,欲しがるもの(『理想』)を求めては争い合って,傷つけあう(『燃える』)景色だろうなぁと考えています。結局世界は狂っているなぁというところに落ち着くわけなのですが,おそらくその狂った世界には自分も加担していて,だからこそ単純にそれを非難しようということもできなくてどんどん鬱屈した気持ちばかりが溜まってしまうわけです。

 

そしてヒトは筒を握り互いを撃ち合う

 

 最終的には優しさなどのようなオブラートに包むことさえ辞めてただただ相手を攻撃するようになる,というイメージ。

 

奇麗言に染められた そんな世界に
きっと僕の居場所は無いのだろう?
白紙のままで丸のついたテスト
正解(ただしさ)でさえ見失っている

 

 『奇麗言』とは耳障りの良い言葉のことを指して使っています(というか自分はそういう使い方しかしていない)。結局は1サビと同じことで,耳障りの良いことばかりが全てじゃない現実に生きていくしかないじゃんね,ということ。語尾が疑問形になっているのは,「なぁ、そうなんだろ?」というような同意を求める意味合いがあります(これが,そうなのかもしれない,と自問するだけの1サビとはちょっと変わっているところ)。ところで,あまりにも欲しいものを求めすぎると何が本当に欲しいのか分からなくなることがあると思います。どういうことかというと,ひたすら求め続けて目についたものがただただ「欲しい」となるだけの思考停止状態に陥っているんじゃないのか?ということです。というわけで後半は,そんな風に求め続ける世界への皮肉です。『白紙のまま』という明らかな思考停止(不正解という意味もあります)にさえ『丸』をつけて正解にしてしまう,というようにだんだん思考がマヒしているような感じ。

 

飽和する嬌声はいつか刃を成して
崩れた世界に終わりを穿つ
夢一つも残さぬように

 

 『嬌声』は,辞書的な意味としては「女性の」という枕詞が付くようですが,ここでは単に「こびへつらって出す声」というようなイメージです。欲しがるものが誰のものでもない,なんていうのはめったにあるものではなく,ほとんどの場合は誰かがすでに所有していたり,対価が必要だったりするわけです。そういったものを何とか(軽い対価で)手に入れようとすることを『嬌声』で表現していて,それが『飽和する』ということは世界中でそんな光景が繰り広げられているということ。当然そういった都合良いことは常に許されるわけではなく,次第に争いの種となったりもしていきます。それが『刃を成して』ということ。すでに崩壊しかけた世界でそんな争いが起こり続けて,最終的には『夢一つも残らぬ』世界へと終わっていくのです。

 

悲しさばかりを持ち寄って救いを乞う
泥塗れのこの世界に祈りを

 

 奪われた側は奪われた側として,『悲しさばかりを持ち寄って救いを乞う』わけなんですが,自分たちも奪っている側かもしれないということは一切棚上げしています。あまりにも汚く,自分勝手なものばかりがはびこる世界が『泥塗れの世界』です。そんな世界でも現実である以上生きていくしかないんですね,ほんとうに嫌ですが。でも当然ながらその世界の一員である以上自分もサイクルの中に組み入れられていて,そんな自分もほんとうに嫌で仕方がない。その鬱屈した思いが一切を棚上げした『祈り』に繋がるわけです。

 

一思いに壊してくれ神様どうか
馬鹿になってしまえば楽なのに
狂い始めた未来に縋るなら
正解(ただしさ)なんて必要ないから

 

 承前の『祈り』を受けて,その内容を示しています。『一思いに壊してくれ』というのはもうどうしようもなくなってしまった世界を何とかしようと思ったら,もう全部壊すしかないですね(遊戯王ZEXAL IIのEDを思い浮かべながら)。『馬鹿になってしまえば』は最近のマイブームフレーズで,要は一切の打算や何やらを捨ててしまえば,その方が寧ろ良い結果をもたらすのでは?という思いです。『狂い始めた未来に縋る』のはおかしくなっていく世界にそれでも期待すること。そんな風に期待するなら自分も狂っていくしかない,という諦観(そんなことは無いだろ,という向きもあるかもしれませんが,自分の思想は基本的に諦観から成っているので)。前述のように狂った世界には『正解』なんてものはない(思考停止)なので,そんなもの『必要ないから』と言っています。まぁある意味『馬鹿になって』いるかもしれませんね。知らんけど。

 

 以上,こんな感じでした!最近の陰鬱歌詞はこういうお気持ちから成り立っているので最悪な気持ちになってます(はやく過激思想から脱したい)。